刀 無銘 千手院

刀 無銘 千手院

 大和五派で最古の歴史を持つ千手院派は、奈良若草山の西山麓に位置する千手谷に居住したと伝えられる。

 千手院派は、在銘物の少ない大和物の中でも殊に在銘物が…

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脇指 無銘 青江

脇指 無銘 青江

 備中青江派は、備中高梁川下流域を中心に活躍した刀工群で、承安頃の安次を祖として始まると伝えられ、平安末期から鎌倉中期頃までのものを古青江、それ以降を青江と大別している。

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脇指 但馬守法城寺橘貞国 (金象嵌)貳ッ胴切落 寛文八年三月廿六日 山野勘十郎久英(花押)

脇指 但馬守法城寺橘貞国 (金象嵌)貳ッ胴切落 寛文八年三月廿六日 山野勘十郎久英(花押)

法城寺貞国は、江戸法城寺派の刀工で、同派の中でも指折りの技量の持ち主であり、一説には法城寺正弘の弟ともいわれている。貞国の最も古い年紀は、万治二年(1659年)で、以後寛文年間までみられるが、比較的年紀作は少ない。また、同派の他の刀工と同じく截断銘のある作が多くみられる。

江戸法城寺派は、法城寺正弘…

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刀 無銘 兼延(拵付)

刀 無銘 兼延(拵付)

兼延は、直江志津派の刀工で、志津三郎兼氏の子と伝わり、応安頃から応永頃にかけて作刀がみられる。他の直江志津の刀工と同様に在銘作は非常に少ない。

直江志津とは、それまでいた濃州多芸郡下多度村志津(現養老郡南濃町志津)から同郡の直江村(現養老郡養老町直江本郷)に移住した志津三郎兼氏の門人達の呼称である。…

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脇指 於南紀重國造之

脇指 於南紀重國造之

 南紀重国は、新刀最上作九工の一人で、慶長新刀のみならず、新刀期屈指の名工の一人である。新刀最上作九工は、埋忠明寿、堀川国広、長曾祢虎徹、井上真改、津田助広、南紀重国、肥前忠吉、越前康継、仙台国包の九人でいずれも新刀のみならず、日本刀を代表する名工揃…

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刀 無銘 古三原

刀 無銘 古三原

 備後国三原派は、備前・備中の両国に近いが、備前伝及び山城伝いずれの影響も受けず、鎌倉末期より室町末期まで一貫して大和伝を遵守している。従来は、正家が祖であるとされてきたが、同工の年紀入りの作刀がいずれも南北朝期であるため、最近の研究では鎌倉末期の…

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脇指 正重作(拵付)

脇指 正重作(拵付)

 千子正重は、初代村正の子と伝わり、千子派を代表する刀工の一人である。正重の名跡は、江戸期まで続いており、古刀期の正重は二字銘か「正重作」と三字銘で切るのかほとんどであるが、新刀期の正重は「勢州住千子正重」と切る者が多い。

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短刀 来國俊(海老鞘拵付)

短刀 来國俊(海老鞘拵付)

 来国俊は、二字国俊の子、あるいは来国行の子と伝わっている。生年は、正和四年(1315年)七十五歳と年紀の切られた太刀があることから、仁治元年(1240年)の生まれであるとわかる。没年は不明であるが、元亨元年紀の太刀が現存するため、少なくとも八十一…

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短刀 水府住徳勝 応誠忠之需作之 干時明治三年 庚午六月良日(拵付)

短刀 水府住徳勝 応誠忠之需作之 干時明治三年 庚午六月良日(拵付)

 勝村徳勝は、幕末の水戸を代表する刀工の一人で、現在では通称「とっかつ」と呼ばれている。

 徳勝は、文化六年(1809年)に水戸で生まれ、生前の通称を彦六…

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脇指 出羽大掾藤原國路作(拵付)

脇指 出羽大掾藤原國路作(拵付)

 出羽大掾国路は、堀川国廣門下でも一番の器用人と評され、堀川一派らしく相州伝を最も得意とし、他にも美濃伝や山城伝など各伝を巧みにこなし、作域も多岐にわたっている。

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