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来国俊は、二字国俊の子、あるいは来国行の子と伝わっている。生年は、正和四年(1315年)七十五歳と年紀の切られた太刀があることから、仁治元年(1240年)の生まれであるとわかる。没年は不明であるが、元亨元年紀の太刀が現存するため、少なくとも八十一… |
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左衛門尉信国は、式部丞信国と並び室町期の山城を代表する名工である。左衛門尉信国は、姓を源、初銘を信光といい、後に信国の名跡を継いだと伝わる。これは、至徳二年紀に源左衛門尉信光銘の作刀があり、応永五年以降に信国銘の作刀がみられることからも… |
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津田助廣は、通称を甚之丞、寛永十四年(1637年)に生まれ、初代助廣門に入り後に養子となる。天和二年(1682年)年に四十六歳で没している。明暦三年(1657年)に越前守を受領し、寛文七年(1667年)より大阪城代青山因幡守宗俊に召し抱… |
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新々刀期を代表する備前伝の名手の一人である固山宗次は、奥州白河の出身で享和三年(1803年)に生まれた。宗平と宗俊の二人の兄がおり、いずれも刀工である。通称を宗兵衛といい、師は米沢の加藤綱英と伝わるが、作風からみるとむしろ綱英の弟である… |
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長船祐定は、同時期の清光と並び末備前を代表する刀工として知られている。明徳二年(1392年)に祐定銘の最初の作刀が見られ、以後彦兵衛尉や与三左衛門尉等の切る刀工が登場し、これら俗名入りの刀工に加え、銘鑑では同銘の祐定を名乗る刀工… |
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兼貞は、駿河国(現在の静岡県)の刀工で、銘鑑には寛文頃の刀工とある。この刀の姿からみて、比較的反りが少なく、元幅に比べて先幅が狭く、帽子も詰まり、典型的な寛文新刀の姿を呈している。地鉄は、板目に杢目交じり、地鉄詰み、地沸つく。刃文は、僅かに湾れた… |
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