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古山城物の刀工と言えば、三条宗近、吉家、五条兼永、国永などが挙げられるが、いずれも在銘物は極めて少なく、古い時代より宝剣として珍重されている。 |
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刀剣は、新々刀、新刀、古刀と大分されるが、現在残っている文献や資料によって確認された刀工だけでも二万数千人を数える。その中で、新々刀期(江戸末期)では技量、知名度、価格などすべての面でずば抜けているのが清麿であり、この事は説明する必要もない周知の事実である。 しかし、本当の清麿の魅力は、実際この刀を手にした者… |
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津田越前守助廣は、長曽弥虎徹、井上真改などと並び称される新刀を代表する名工の一人で、最上作に名を連ねており、殊に刃の明るさは新刀屈指といわれている。 二代助廣は、通称を甚之丞、寛永十四年(1637年)に摂州打出村(現芦屋市)で生まれ、初代助廣門に入り後に養子となる。明暦三年(1657年)に越前守を受領し、寛文… |
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榎本貞吉は、本名を榎本吉市、明治四十一年(1908年)に徳島県で生まれ、昭和三年(1928年)に大坂の月山貞勝に入門、昭和十八年(1943年)に静岡県三島市へ移住し以後同地で作刀した。昭和五十六年より無鑑査待遇、平成八年に無鑑査となった。 |
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兼門は、関七流の善定に属し、代々の当主が兼門宗九郎を名乗り、刀工銘も兼門と切っている。また、万治二年(1659年)頃兼門が丹波大掾を受領した際に照門へと改銘しているが、照門銘は一代限りで次代からは元の兼門に戻っている。
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宗一は、肥前国平戸藩松浦家の抱え鍛冶で、初代宗一は武甲山と号し、江戸本所(現東京都墨田区本所)で鍛刀している。二代宗一は、武蔵国用土村(現埼玉県大里郡寄居町)の出身で、月心斎と号し、初代と同じく江戸本所で鍛刀している。… |
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三原正則は、末三原の一派である貝三原の刀工で、作刀時期は弘治頃、現存する作刀は比較的少ない。 備後国三原派は、備前・備中の両国に近いが、備前伝及び山城… |
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慶長新刀のみならず、新刀期屈指の名工の一人である南紀重国には、遠祖手掻包永以来の伝統を踏襲した直刃出来の大和伝と、桃山時代の好尚に合った乱れ出来の相州伝の二様の作域がみられるが、重国の特筆すべき点は、その大和伝と相州伝のいずれにも卓越した技量を駆… |
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長船景光は、長光の子で名を左衛門尉といい、父の跡を受けて祖父光忠、父長光と続く長船正系の三代目を継いだ。景光の作刀年代は、鎌倉末期の嘉元から南北朝初期の建武までの三十年余りにわたり、時代の過渡期でもある為に作風に鎌倉末期と南北朝期の双方の特色が見… |
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橘康広は、紀州石堂派を代表する刀工の一人であり、後に紀州から大坂へ移住して大坂石堂派の始祖となった。 康広は、名を富田五郎右衛門といい、初期は「紀伊国… |
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