脇指 月心斎宗一鍛之 元治一甲子年八月日 (拵付)
宗一は、肥前国平戸藩松浦家の抱え鍛冶で、初代宗一は武甲山と号し、江戸本所(現東京都墨田区本所)で鍛刀している。二代宗一は、武蔵国用土村(現埼玉県大里郡寄居町)の出身で、月心斎と号し、初代と同じく江戸本所で鍛刀している。
この脇指は、元治元年(1864年)に作られた二代月心斎宗一の作で、やや反りのついた南北朝期特有の姿や、正宗や貞宗などの相州上工に見られる浅く湾れた刃文、喰違樋などからみて、宗一が相州貞宗を狙った作と思われる。鍛えは、小板目詰み、地沸つき、地景入る。刃文は、前述の通り浅く湾れて、互の目交じり、足入り、金筋かかる。帽子は、突き上げて深く返る。茎の状態もよく、鑢目鮮明に残り、銘も鏨枕立つ。地刃共に健全な相州貞宗写しであり、現存少ない宗一の貴重な作である。
この脇指に付帯する拵は、幕末頃の製作と思われるこの脇指の生ぶ拵で、鉄(たが)刀(や)木(さん)を貼り付けた鞘の中ほどに唐革を巻き、柄にも鉄刀木を貼り付けている。金具は、四分一石目地の一作で、目貫の位置の金具に変わり抱き沢潟をあしらい、鎺にも同じく変わり抱き沢潟をあしらっている。小柄と割笄も銀で作られており、全体的に凝った造りの拵である。
平戸藩は、肥前国松浦郡(現長崎県平戸市、松浦市など)や壱岐などを領有した藩である。当初は、領内の平戸にオランダ商館があった為に貿易で莫大な利益を得ていたが、商館が長崎に移った後は藩内産業を農業や漁業等へと比重を移していった。
松浦(まつら)家は、源頼光(名物童子切安綱の所持者)四天王の筆頭渡辺綱を遠祖とすると伝わり、平安期から肥前国松浦郡を中心に在住していたが、しかし、戦国期に松浦隆信や鎮信(初代平戸藩主)などの活躍で北松浦半島を統一し、近世大名の仲間入りを果たした。歴代藩主では、名君としても知られる九代藩主松浦清(号静山)が殊に名高い。松浦清は、政治手腕だけでなく、随筆集「甲子夜話」などを執筆するなど学者としても優れており、また明治天皇の母方の曽祖父にあたる。






