太刀 信正(拵付)
古一文字信正は、古備前信房の子と伝えられ、兄弟といわれる者に古備前包平や信包で、信正はその長男である。後鳥羽上皇御番鍛冶の一人であり、古来より名工として知られるが、現存する在銘作は非常に少なく、現存する指定品は、重要美術品一振、特別重要刀剣一振、重要刀剣二振の計四振のみである。
福岡一文字派は、鎌倉時代初頭の則宗を事実上の始祖とし、鎌倉中期に至り最も絢爛な大丁子乱れの作風を展開したが、その中にあって助真や吉房などは殊に大模様の乱れを焼き、作風も華やかである。鎌倉初期の同派の作を特に古一文字と呼び、鎌倉中期の作を福岡一文字と呼び分けている。
本太刀は、前述の通り数少ない古一文字信正の在銘の作で、江戸期には薩摩鹿児島藩主島津家が所蔵しており、現在は第三十六回重要刀剣に指定されている。
この太刀は、鎌倉初期の生ぶ太刀で、大太刀が多い当時では三尺から二尺五、六寸が定寸とされていた。この太刀は、二尺三寸ほどである為、小太刀であったと思われる。その為、現在まで磨り上げられずに現在に至っていると思われる古一文字といわれると大模様の刃文ではなく、小互の目風の丁子を基調としたものが多いが、この信正の太刀は、頭は揃っているが出入りのある丁子刃を美しく小沸に近い匂出来で焼いている。匂深く、小沸つき、処々に金筋あらわれる。地鉄は、板目に地沸一面につき、乱れ映り立つ。平肉も比較的よくつき、疵や肌荒れは見当たらない。流石に大島津家所謂島津本家に伝わった名刀だけあって小太刀ながら辺りを祓う様な風格と品格は他を寄せ付けないものがある。
この太刀に付帯された打刀拵は、江戸末期頃の製作と思われる。縁頭と柄頭は、赤銅魚々子地に倶梨伽羅竜を見事に高彫りにして、無銘であるが作柄からみて後藤一門の江戸中期頃の作と思われる。目貫も同作と思われる倶梨伽羅竜で、保存状態も素晴らしい。鐔も同様で、碁石形の赤銅魚々子地の魚々子が縁頭、柄頭と揃っている事から、一作であると思われる。鞘も一分刻みの変わり塗呂色鞘で、おそらくこの太刀には衛府太刀拵や糸巻太刀拵などの幾点かの拵があったと思われる。この拵もその一つで、流石に島津家の当主が差したと思われる大変品の良い拵である。
この太刀を所蔵した島津家は、鎌倉期から続いた守護大名で、初代島津忠久は、薩摩、大隅、日向の三州の守護を兼ね、以後南北朝期や戦国期の戦乱の度に領地の拡大縮小があったが、江戸期には薩摩、大隅の二国と日向の一部を領有し、明治期に至るまで同地を治めた。また、代々の当主の多くは初代の諱の一字である「忠」或いは「久」の字を通字として継いでいる。






