刀 近江守法城寺橘正弘(拵付)
法城寺正弘は、但州法城寺国光の末裔で、江戸法城寺派を代表する名工である。正弘は、名を滝川三郎太夫といい、但馬国出石郡弘原(現兵庫県豊岡市出石町弘原)に生まれ、後に江戸へ移住した。正弘の生没年は不明であるが、承応四年(1655年)から寛文頃にかけて作刀があり、承応四年紀の刀では既に「近江守法城寺橘正弘」と受領銘を切っている事から、承応四年以前で受領している事は確実である。
江戸法城寺派は、法城寺正弘を始祖とし、一派には但馬守貞国や越前守正照、但馬守国正などの刀工がおり、派の刀工のほとんどが本姓を橘と切るのも特色である。また、江戸法城寺派の作風は同時期の刀工である長曾祢虎徹と非常に近く、虎徹と同様に作刀に山野勘右衛門永久や山野勘十郎久英など山野一門の截断銘も多く、同派と虎徹には交流があったのではないかと思われている。
この刀は、鎬造りで、鋒僅かにつまり、元幅に比して先幅が狭く、寛文新刀の姿を呈しているが、割に反りもつき、寛文新刀にしては無骨さがなく品がある。地鉄は、小板目よき詰み、地沸がしっかりのって、地景頻りによく入る。刃文は、太直刃調の頭の揃った互の目を焼いて、匂口非常に深く、足太く長く入り、虎徹の傑作をみているような錯覚に陥るほどの出来映えである。加えるに、地刃、茎、刀身においても少しの疵、欠点がみられない健体ぶりである。黒く冴えた地鉄に、真っ白に新雪が積もったかのように見える明るい刃文のコントラストは、みるものに感銘を与えるほどインパクトがある。この完成度の高さは、正弘の最高傑作と断言できる。
この刀に付帯する拵は、近代に製作されたと思われる打刀拵で、鞘は黒の呂色塗鞘で、目貫には赤銅地に色絵で秋草の図をあしらっている。縁と柄頭、鐔は赤銅魚々子地に高彫りの色絵で菊花の図をあらわしている。美濃後藤風の金具が使われた江戸中期頃の拵であり、当りや傷みほとんどなく、状態が非常に良い。






